【連載コラム】 教えて‼︎ケンジ代表~~~ッ! Vol.9~ 久保賢司の格闘家としての一面 ムエタイからキックボクシング、キックボクシングからプロボクシングへ・・・編~
皆さんこんにちは!
毎週書き続けているこのコラムも、10回目を迎えました(^^)/
前回、僕の格闘家としての一面の生い立ちを少しお話しました。
今回はその続きです。
僕の格闘家としての人生は、大きく分けて三部構成となります。
第一部は、17歳でプロデビューしてからとんとん拍子でチャンピオンになり、移籍トラブルにより2年間の空白期間を経て、復帰した後に計3つのタイトルを獲得する、ムエタイ~キックボクシング時代。
第二部は、プロボクシング時代。
実はここは、精神的に人生で一番キツかった期間で、思い出したくないという想いから自分で<タブー>とし、この頃の心情は、家族や親友にも話した事がありません(^^;
時間も経った事ですし、せっかくの機会なので、ここまでいくのは次回掲載になりますが、包み隠さずお話ししていこうと思います。
今からさかのぼること6年前・・・
当時23歳だった僕はKENJIというリングネームでキックボクシングのチャンピオンとして、
現K-1ジム自由が丘の代表戸邊隆馬選手や、後にテラスハウスに出演しブレイクした宮城大樹選手、当時現役でルンピニースタジアムの2位だったパジョンスック・ポー・プラムック選手、ヨーロッパ王者のフランク・グロス選手
世界の強豪達と拳を交え、全戦全勝の無双状態でした(‘ω’)ノふふふ
そんな時、次なる挑戦を求め、プロボクシングへの挑戦を表明し、キックボクシングのチャンピオンベルトを返上、引退をしました。
発表の記者会見には沢山の新聞記者が集まってくれて、ほぼ全紙の新聞記事になった良い思い出です(笑)
プロキックボクサー”KENJI”から、プロボクサー”久保賢司”に生まれ変わり、ボクシングのプロテストを受験(キックボクシングとは別物の競技なので、テスト免除とはなりません)し、ボクシングデビュー戦を迎えました。
「当時の世界王座獲得最短記録を狙う!」と豪語していて、デビュー戦でノルディ・マナカネ(インドネシア)という、亀田興毅選手と世界タイトルマッチを戦った世界ランカーと戦う事になりました。
↓↓この選手↓↓
この時は正直、
「キックもボクシングもそんなに変わらん!蹴りを使わずにぶん殴る!クリロナはフットサルやっても最強なんじゃ!」
とか思っていました(;^ω^)
しかし、キックボクシングとボクシングは全くの別モノで、プロ野球選手がウインブルドンに挑戦するぐらいの、強く謙虚な気持ちを持って戦わないと通用しない厳しいものでした。
そもそも僕は全然クリロナじゃなかったし、結果として、このボクシング挑戦は惨敗に終わったのです。
しかしですね、この異例とも言えるボクシングデビュー戦は、実は圧勝したんです。
KOこそ出来なかったものの、大差の判定勝ち。
そして、「やべぇ、マジでこっちの世界でも獲れる!」と調子こいていた矢先、次戦で戦った現役の世界ランカー<レイ・ミグレノ(フィリピン)>に失神KO負けを食らいます(;^ω^)
この一敗をキッカケに、取材の数が激減し、世間の注目度もなくなり、暗黒の時代に突入するのでした・・・
次回のコラムでは、ボクシング人生を左右する事になった、プロボクシング転向3戦目(vsインドネシア王者ガリー・スサント戦)、そして4戦目・・・5戦目・・・格闘家としての精神が崩壊していく様を、赤裸々に話していこうと思います。
それでは皆さん、急に寒くなってきたので、風邪ひかないよう温かくして寝て下さいね!!
また次回のコラムで!!